2018年10月4日木曜日

黒板の裏に

亡き人を仏と拝み

       拝まれる仏となると

   今を生きゆく



下関の住職の亡くなる前に本堂の黒板の裏に遺していた言葉だそうです。


亡くなった方を仏様と私たちはいただいていきます。その方によって手を合わせることもお念仏申すこともなかった私がお育てをいただいていきます。

そして、お念仏いただいた私自身が仏様とならしていただき、残してい書けばならない連れ合いや子ども、縁ある方にいつでもどこでもはたらき、見守る仏様とならせていただきます。

そして、今を生きゆく。生きぬくではないです。力を入れずともいいのです。

榎本栄一さんの言葉を借りるならば、「大悲の中をほくほくあるいている」。

そのまんまの身で阿弥陀様に抱かれている安心の中を歩ませていただいています。ほくほくと。

死んで終わりではなく、お浄土に生まれゆく。そして、縁ある方とまた出会える身とさせていただく。。。


今月は永代経法要があります。

19日昼座13時半〜

            夜座19時半〜

20日朝座9時半〜

            昼座13時半〜



ひとつひとつのご縁を大切に。一緒に仏様のお慈悲のぬくもりを聞かせていただきましょう。





2018年10月2日火曜日

今月の行事


10月の行事予定を更新しました。

今月は永代経法要があります。
命あるうちに、一つ一つの仏縁を大事に。
お聴聞させていただきましょう。


2018年9月30日日曜日

9月のんの会

9月ののんの会。

今回は私自身の台風の思い出から我執という煩悩のお話。

みんなも今日の運動会が台風で延期になって嬉しい子もいれば、悲しい子も。

それぞれに自分のフィルターを通して周りを見て、自分のものさしで物事を測っています。

好きなもの、嫌いなもの。
好きな人、嫌いな人。
良い天気、悪い天気。

無意識に使っている言葉ですが、

(自分にとって)好きなもの、(自分にとって)嫌いなもの。
(自分にとって)好きな人、(自分にとって)嫌いな人。
(自分にとって)良い天気、(自分にとって)悪い天気。


そのようにしてしか生きていくことができないお互いです。私もその一人。
だから、ぶつかったりしてしまう。
好きな人、嫌いな人がいるのは仕方ないです。煩悩を持った人間だから。
しかし、嫌いな人がいたとしても、その人のことを好きな親や友人や恋人などのことを考えるとイジメや殺人起きないはずですね。。
その感性があると思い留まることができます。

誰もが誰かにとっての大切な人。
仏様からみても、大切な大切な一人一人であると聞かせていただきます。






今日はいつものようにゲーム遊びをしました。









2018年9月28日金曜日

エリート

福井新聞の8月23日のコラム。
今頃載せますが、、笑

良いコラムでした。












価値観を変えれば生きやすくなる。ほんとその通り。



ひび割れ壺の絵本を思い出しますね。









2018年9月25日火曜日

児玉先生

お彼岸のご縁が終わりました。
お参りくださった方ようこそでした。

1日目楠元地区
法話   児玉先生、若院、住職
2日目真光寺本堂
法話   児玉先生、若院
3日目真光寺本堂
法話   児玉先生、住職




この度は法務員を20年もの間勤めてくださった児玉先生の最後のご法話のご縁。
ですので、三日間同じお話をしていただきました。

高江町にて、浄土真宗のご門徒の家に生まれ育った児玉先生。


お坊さんになったきっかけは祖母のお念仏でした。


なんまんだぶ。なんまんだぶ。よくお念仏していた祖母。

お念仏とは人が亡くなった時に悲しい時苦しい時にするものだと考えていた児玉先生。
しかし、祖母のお念仏は違いました。
悲しい時苦しい時だけじゃない。子どもの結婚やらのお祝いの時にでもお念仏がこぼれていました。



祖母のお念仏は嬉しい時にも悲しい時にも出る。いったい、あれはなんで何だろうか?

その疑問が児玉先生の仏縁となり、お坊さんとなるまでお育てとなったそうです。


真光寺での法務員としてのお勤めはこれで終わりですが、皆さんと一緒にお聴聞はこれからも変わらずさせていただき、皆さんと一緒に阿弥陀様に変わらずお育ていただきますとお話しくださいました。



20年もの間、お疲れ様でした。寺族、真光寺門徒共々にお世話になりました。



2018年9月21日金曜日

寺巡り

長崎の勉強会にいろいろくっつけたら、寺巡りのような旅行に。笑



まず熊本、菊池の西覚寺



歴史の古いお寺さん。


睡蓮の季節は綺麗でしょうね。


熊本の西覚寺にいらなくなった火鉢を3ついただきました。これが目的。





そして、長崎の母の里、楽常寺へ向かいました。

途中、湧き水の街、島原に寄り道。






寒ざらしの店『銀水』へ。







昭和の香りがします。
湧き水で魚を洗い、さばいているおばあちゃんの姿も。



これが寒ざらし。
品のある甘さで美味しいです。





楽常寺ですこしゆっくりしてから、長崎教務所で勉強会。
楽常寺で一泊させていただきました。

お朝事。





次の日、嬉野の明覚寺へお聴聞に。
お彼岸のご縁。
御講師は岩国の筑波先生。





そして、波佐見の叔母に会って帰りました。



真光寺も彼岸会が勤まります。
22日13時半〜  楠元地区
23日・24日13時半〜   真光寺本堂

ぜひ、ご縁にあってくださいね。















2018年9月12日水曜日

前回の

悲しみを通さないと  見えてこない世界がある


作者不明と書いていましたが、平野恵子さんという方でした。


腎癌という病気の縁により、亡くなっていかれた方でした。
そして、ご法義のある方でした。

腎癌という病気のつらさ、3人の子どもと別れていかなければならない悲しみ。。

その縁により、見えてくる世界をいただけた言葉だったようです。

母の言葉を思い出します。

世間の人は自分が死に直面したら悩む。
でも、お母さんはお浄土があってよかった

と。


膵臓癌という病気、家族と別れていかなければならない悲しみを縁として、母の味わいも深くなっていきました。
悲しみ、苦しみ、つらさは仏縁があっても変わりません。
情で生きているものが人ですから。
しかし、その悲しみ苦しみつらさをほっとくことのできない仏様がいらっしゃいました。
その仏様に出遇えたときに、同じ悲しみ苦しみつらさであっても、見えてくる景色が違ってくるでしょう。