2018年5月28日月曜日

5月のんの会

26日はのんの会でした。

お話は


ぞうきんは
他のよごれを
いっしょけんめい拭いて
自分は よごれにまみれている


                              榎本栄一


という詩を縁にお話。
ぞうきんをただの物としての意識を離れることができず、なかなかピンとこなかったようでした。

難しいですね。





本堂が急遽使えなくなったこともあり、慈眼堂や境内で遊ぶこととなりました。













お菓子を下さった方、有難うございました。
慈眼堂でお菓子をいただきました。






来客への対応などで、子どもたちに迷惑をかけてしまった時間帯がありましたが、高学年の子らを中心に遊んでくれていました。
申し訳ないです。




2018年5月24日木曜日

お聴聞からのお取次ぎへ

お聴聞からのお取次ぎ。

西念寺さんへお聴聞。渓先生。


いつも山門のお花が綺麗です。
ご門徒のお花屋さんがしてくれるとのこと。

法話前にコーラス隊。



『しんらんさま』





そして、
お取次ぎは谷山の照蓮寺さまへ。
一度、団体参拝で真光寺にみえたお寺です。

お育てをいただきました。
有難うございます。

法座が終わった後に、ハープと雅楽の演奏がありました。
ハープの音色が本当に素敵でした。






2018年5月17日木曜日

ご先祖さんが遺したもの

以前、佐賀の先輩の結婚式に御縁をいただいた時に、博多によりました。










七里恒順和上のお寺。萬行寺様。

昔、和上の法話をいただこうと各地からはるばるお聴聞に参ってたそうです。


以前、真光寺の永代経に招いた紫藤先生がお話してくださったお墓にお参りに。















シベルユナト

外国人の御門徒さんのお墓ではないですよ。笑


きっとお念仏慶ばれた御門徒さんの建てたお墓。

なぜか?
これは縦書きで

トナユルベシ

と書いてあります。




墓跡も「〇〇家の墓」ではなく、昔のお墓にはちゃんと書かれていた「南無阿弥陀仏」

お念仏のご縁に遇ってほしいというご先祖の声が聞こえてくるようです。




トナユルベシ。トナユルベシ。
お念仏は自分の口でとなえ、自分の耳で聞き、阿弥陀様のお心をいただくものです。















2018年5月13日日曜日

母の日

5月13日。


母の日は感動するコラムに出会います。












母をなくした方にとって母の日は
「有難う」と母に言うことができないことは寂しい日なのかもしれない。



「ずっと見守ってたよ」
と味わえる世界があるのであれば、お仏壇に手を合わせ、母を想い、感謝することができると思います。



親孝行       したいときには       親はなし

とよく言われるが、
正直、私には言い訳にしか聞こえない。。


親を亡くしたからこそ、親の有難みを味わいやすい。




母の日は毎年のようにこの法話を思い出します。
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そして、私も毎年、
母の日は赤いカーネーションをお仏壇に。
母を想い、お念仏申す。

ずっと見守っている母に














2018年5月11日金曜日

お聴聞へ






澍法会に講師として招いていました福田康正先生。
真光寺の後、出水市のお寺にお取次ぎに行くということでお聴聞に。


お寺さんは西恩寺さん。



福田先生はある日のお寺の掲示板に

仕合わせは
他を慈しむ心から生まれ、
不幸とは
自己中心の心がもたらす

と書かれました。


また、このような話をしてくださりました。


授業参観の日。ある男の子が
「お父さんが嫌いです。お酒を飲んで酔っ払って帰ってきて、お母さんや妹や僕にあたります。お父さんなんかはやく死んだらいい」
と発表した。

クラス中が驚いた。



この件は私にまかせてください。と母が担任の先生に言う。




ある日、みんなでピクニックに行った。
お弁当を食べたり、遊んだり楽しんでいた。

そんな中、
男の子がある一点を見つめたまま動かないでいた。


その見つめている先には土木作業をして頑張っている父親の姿があった。
上司に怒られている父の姿もあったそうだ。



それから男の子は様子が変わった。
自らお風呂を沸かして、父親の帰りを待つようになった。

酔っ払って帰ってきた父親に恐る恐る小さな声で「おかえりなさい」と一言。


それからというもの父親の様子も変わった。
お酒を控えるようになり、たまに子どもたちにお土産を買って帰るようになった。















家族、恋人、友人であっても、この男の子のように行動することは難しいですね。
自分のことしか考えてなかった男の子、父親。

しかし、父親の一生懸命仕事をしてる姿に心動かされ、男の子の行動が二人の関係をかえていきました。

相手を想う、慈しみの心で。

私たち人間には限界がある。身内のような近い人間にしか慈しみの心を持つことが困難。いや、身内に対しても慈しみの心で接することは困難です。

それを考えると、この男の子の行動は尊く、有難く、立派な行動だと思います。




慈眼(ジゲン)、慈しみの眼をもって、常に私たちのことをみてくださっている方が仏さまです。
すべてのものに慈しみの心をもてる方を仏さまと言います。

この世の縁が尽きた時は、遺された方々に阿弥陀様と同等のはたらきをしていきます。
慈しみの眼、慈しみの心をもって、いつでもどこでも見守り、はたらく仏様です。


 今生きている我々も、自分のことだけを考えるのではなく、
その仏様に対して、せめて御恩報謝の日暮しをしていきたいものです。それがそのまま亡くなった方々がよろこんでくださることだろうと思います。


仕合わせは
他を慈しむ心から生まれ、
不幸とは
自己中心の心がもたらす












2018年5月7日月曜日

第16回澍法会

第16回澍法会は山口県の福田康正先生をお招きしてのご縁。





ゴールデンウィーク最終日、そして、大雨ということもあり、いつもより少ない参詣。



しかし、そんな中でもお参りに来てくださっているお同行さんの姿は本当に本当に有難いです。



一緒に同じ方向をむいて歩んでいける、何によりも嬉しいです。






お浄土に生まれて、仏になるといただいて今を生きている人と

死んだらしまいよと生きている人。



生き方は違うというお話。








来月は6月9日(土)、龍谷大学教授でもある井上見淳先生のご縁です。
今回来れなかった方も、澍法会にまだご縁ない方も、ぜひ、時間を作ってお聴聞ください。

若院

2018年5月1日火曜日

五月の行事




五月の予定です。




◇ 法語 ◇


病気を治す

  工夫も大切であるが

病気の治らない時の

  工夫も大切である

 

                                       武内洞達師





縁あれば、そうですね。いのちと向き合う工夫。



若院