昨日は水俣へお聴聞。
水俣、西念寺様の入門講座へお聴聞。
お勤めは総代さん。
その後、学習の時間というものがあります。
資料を載せておきますので、それぞれ確認されてみてください。(ケータイよりパソコンの方が見やすいです。)
ご講師、能美潤史先生。
法のひとしずく
葬儀によく読まれる『白骨の御文章』がテーマでした。
真光寺のお通夜、葬儀でも読まれるもの。
蓮如聖人のお手紙。
白骨の御文章と呼ばれているお手紙が
誰に書かれたのか?いつ書かれたのか?
不明であります。
しかし、
誰に書かれたのかいくつか説があるそうですが、どの説であっても、
大切な人を亡くされた御門徒さんに送ったものだろうと言われています。
その『白骨の御文章』の中に
「あはれといふもなかなかおろかなり」
とあります。
ある時の葬儀のご縁。お勤め、法話、そして、白骨の御文章拝読。無事葬儀が終わったあと、講師部屋にて着替えていましたら、
ある門徒さんが
「話がある!」
と入ってきて、
「さっき変なもの読んだじゃろ!わしらに向かっておろかって言うたじゃろ!おろかとは何ごとかー!」
と怒りながら言ってきたそうです。その後、講師部屋にて『白骨の御文章』の法話が始まったと話をされていました。笑
そうですね。
この御門徒さんは「おろか」を「愚」と勘違いされてたんですね。
実は、この「おろか」は「疎」。現代語で言うなれば「おろそか」です。
あはれでは足りん。悲しさ、寂しさなどという言葉では表現しきれん。ということ。
悲しさ、寂しさという言葉ではなかなか言い表すことのできないほどの悲しみがあります。
ということ。
怒って、御講師部屋に入ってみえたこの御門徒さんはよかったですね。
亡くなった方を縁として、白骨の御文章を味わう法話を聞くご縁をいただいています。
有難いことです。
そこから、またお寺の法要に繋がっていくのでしょうね。
浄土真宗は聞かないと分からん。そして、聞いても分からんです。しかし、聞いて仏様に出遇う教えです。見て会う教えではありません。どうぞ、聞いて仏様に出遇うご縁である法要を大切にしてください。
若院