2018年9月2日日曜日

お茶会

お寺にて初のお茶会。





まずは3分くらいの短いお勤め。
そして、それから短いご法話。





とある茶道の先生が大学の学生を美術館に。
そこには国宝級の抹茶茶碗の数々。

学生が言ったそうです。
「どれもこれも薄汚いですねー。こんな汚らしい茶碗で本当にお茶を飲むのですか? 自分なら絶対に嫌です!」
と。

学生たちにはそう見えるのかと驚いたそうです。


学生たちはシミや変色を「劣化」と見ていますね。



私も焼物が好きなので、窯元などウロウロすることが好きなのですが、焼物には陶器と磁器があります。

鹿児島の薩摩焼は陶器です。

陶器は磁器と比べ、均一に作られてるようにみえて、ムラがあったり、形が不均一でひとつひとつが表情が違います。
それを嫌がる方もいるでしょう。

また、陶器の茶碗は磁器の茶碗とは違い、使えば使うほどに変色していきやすいです。
貫入などのヒビなどに抹茶が入り込み、シミにもなっていきます。


茶道家は抹茶のシミや変色を「劣化」とは見ていかないそうです。
使い込まれた茶碗を「よく育っている」と褒め、シミを景色と呼び、それがあることを喜ぶそうです。



芸能人がシワやシミができたときに「劣化」とすぐにメディアや世間は言いますね。
しかし、お聴聞よくする方でシミやシワを「これは勲章よ」とおっしゃる方がいました。
「劣化」と「勲章」じゃ、えらい違いですね。




阿弥陀様のお心をいただいたときに、歳をとるということをどのように味わうのか。





ご門徒の白男川さんの生前のお話。
毎回、法要でお聴聞を楽しみにしていた白男川さん。病気や自分の足ではもう歩けなくなり、なかなかお参りできなくなっていきました。

ある日のこと。
白男川さんの友人が白男川さんを法要に連れてみえていました。
嬉しそうに座っている白男川さん。

その姿をみた住職が話しかけました。
住職
「お久しぶりです。白男川さん!ようこそでしたねー。」

白男川さん
「〇〇さんが連れてきてくださいました。また、お聴聞できることが嬉しいです。」

住職
「なかなかみえなくなったから、心配してました。最近(調子は)どうですか?」

白男川さん
おかげさんで、育ちざかりでございます。

その言葉に住職、また周りにいたご門徒さん方は感動されたそうです。
小学生や中学生で育ちざかりは当たり前。
しかし、もう一人では歩けない白男川さん。
病気もしていますし、もう高齢のおじいちゃんです。
その方から満面の笑みで「育ちざかり」と。



死んで終わりの人生なれば、劣化でしょう。
しかし、死んだら、生まれる世界があるのであれば、育ちざかりであり、シミひとつが「勲章」のようなものになります。
ひとつ歳をとり、仏様の味わいが変わる。
ひとつ病気になり、仏様の味わいが変わる。
ひとり愛した人親しい人と別れ、仏様の味わい変わる。
老、病、死に意味を浮かび上がらせていく。
私どもがさまざまな仏縁に遇い、お念仏者となっていく姿に、阿弥陀様は「よう育っているなー」と喜んでくださっています。

お浄土の仏となる身へと今まさに「育ちざかり」の一瞬一瞬と味わっていきたいですね。



というような内容の法話を。










ご講師部屋に移動。
妹が浴衣を着て、お茶会を。








敷居の低いお茶会なので、ワイワイガヤガヤしながら。
作法は裏千家のお作法を。
足の悪い方はイスでお茶を楽しみました。


お茶会参加したい方は、電話またはホームページのお問い合わせからでも大丈夫ですので、ご連絡ください。