2017年11月23日木曜日
入仏式
この度は入仏式のご縁。
「仏壇なんかいらん!」
と、お仏壇の大切さがなかなか次世代に伝わっていない中、この度の入仏式のご縁は20代の若い方。
久々のマンションでの法務でした。
「その歳でお仏壇を?!
もしかしたら、身内が亡くなったからお仏壇を?」
と、思う方もいらっしゃるでしょう。
「お仏壇は人が亡くなったら、持つもの。」
という理解だったら、もしかしたらこの20代の方がお仏壇をお迎えした意味がわからないでしょう。
お仏壇とは、亡くなった人のためのみならず、私のためにあるものです。
お念仏をよろこばれた我々の先輩方が「大切なことを聞いておくれよ。いつでもどこでもお前によりそってくださる仏様をいただいてくれよ」
と残してくださった大切なものです。
平成17年の年末の朝日歌壇
浄土のある考え方の豊かさよ
無に帰することの何とさびしき
何のために生きているのか?
どこに向かっているいのちなのか?
私どもの人生に意味をもたらしてくださる阿弥陀様にこの方は出遇われたのでしょう。
自宅にお仏壇があることで、毎日、如来様にお給仕をさせていただくことで、生活の一部に仏様の香りを感じる家庭になります。
仏縁に遇わなくても、遇っても、
どちらにせよ、つらいことかなしいことやどうしようもない別れがいつか経験します。
しかし、そんな悲しみの中でもまた会える世界、お浄土を受け入れられた人生は決してむなしくはないでしょう。
無に帰する考え方ではなく、お浄土のある考え方。
あきらかに、豊かな人生になることでしょうね。
そして、仏縁に出遇い慶ばせていただくことが、そのまま御先祖の方、縁ある方が慶んでくださります。
それが本当の御供養です。
「あの方のおかげで、あの人のおかげで大切なことを聞かせていただいた。大切なものに出遇わせていただいた」
と慶んでいけるそれが何よりの御供養なのです。
入仏式はお祝いの式。慶びの心をあらわす朱蝋。本当に有難い尊いご縁に遇わせていただきました。
若院
2017年11月19日日曜日
己を見る目
慈眼の目を真似て、子どもたちに接していきたい。
と先日書きました。
そのようにみていけたときに、そのよつに行動を起こせたときこそが気をつけないといけないと教えるのが仏教。
「悪いことをするな。善いことをしなさい」
これ道徳。
「それを心に残すな」
これ仏教。
仏教は悪いことをしたときより、善いことをした時の方が問題があるといいます。
そのことにいつまでも執われ、高上がりをし、ついには他を責めかねない。
すべての争いは、正義と正義。お互いが正しいと思って争います。
「私が正しい!あんたが間違っている!」
と争いが起きる。政治の世界を観ててもそうですね。
「私が悪かった。私が間違っていた。」
とお互いがその心のもと話をしたら、争いは起きんでしょうね。
若院
2017年11月17日金曜日
私も昔はそうでした。
いつかの都会の保育園の建設反対のニュースを思い出しました。
子どもの声を騒音とし、自身が小さい頃どれだけ周りにお世話になったか忘れているお年寄りの姿。。
みな、子どもの頃がありました。いろんな方々にお世話になってきました。もちろんこれからもそうです。
ニュースに出ていたお年寄りの姿は人ごとではないですね。私という人間は我執という自己中心の心に底がない、、
そのように味わうと共に、仏様の真似は到底できない私でありますが、仏様の目、慈眼(ジゲン)の心に学びながら子どもたちに接していきたいと思うことでした。
若院













