2017年2月10日金曜日

私のこととして聞く

「墓参り  合掌した手で  蚊を殺す」

あるお寺の掲示板の言葉。



みなさんはこの言葉を読んでどのように感じますか?







ハッと気付かされた方は自分のこととして味わえた方。






ネットでこの言葉をあげていた若者は、「ウケるー。ここの坊さん大丈夫か?」という反応。




しかし、掲示板の言葉、いや、それだけではなく仏法とは他の人のことではなく、私のことを説いてくださっています。


この言葉も私のことと読まなければ、気付きをいただけません。





合掌していた手で、いのちを奪う私の恥ずかしさ、愚かさ。


しかし、いのちを奪うこの手が合わさる。それは仏様のおはたらき。
愚痴が出るこの口から、お念仏が出るようにお育ていただいている。それも仏様のおはたらき。
もったいないことです。



蚊を殺す  この手が合わさる  有難さ。



若院

2017年2月7日火曜日

次男慶樹結婚式・披露宴

弟がこの度、横浜の寳光寺様に養子として入寺致しました。



弟のあいさつの話。

『母が亡くなる2日前。
「あんたは養子に行くのよね?信じとるからね。」

と言われました。

信じとるからねというのは疑いがあるときに出る言葉だと学校で習ったと母と2人で病室で笑いました。

しかし、その「あんたは養子に行くのよね?信じとるからね。」と言う言葉がずっと私の内側から私を見つめていました。

その言葉が私の方向を定めてくれました。』






母の仏縁に遇ってほしいとの願い。
お寺に養子に行って、阿弥陀様の一番近いところでお育てにあってほしいといつ願い。
たくさんの母の願いが込められたこの言葉。




『自分で決める人生もいいけども、親に願われた人生もいいな。』



と挨拶で話してくれました。






みなさんはどんな言葉が自分を見つめていますか?


『南無阿弥陀仏』という言葉。
それは阿弥陀様からの願い。
親様からの願い。
「私がここにおるぞ。お前を必ず仏にする。どうかお浄土に生まれると思ってくれよ。お前のその命心配いらんぞ」
と南無阿弥陀仏にたくさんの親様の願いが詰まっています。
阿弥陀様が定めてくださった道。


その願いに気付き、親様に願われた人生を歩ませていただく。




横浜と鹿児島。


遠く離れてしまいましたが、阿弥陀様が定めてくださった道を兄弟で共に歩んでいけることは本当に仕合わせなことです。




若院


2017年2月3日金曜日


境内の梅が咲き始めました。



二月の『大乗』の「今あなたに伝えたい言葉」。




「あなたよりあなたを思う方がいる」

阿弥陀様はどんなことがあっても見捨てない。


若院

2017年2月2日木曜日

楠元地区の報恩講

真光寺で唯一残ってる地区別の報恩講法要。


昔は喜入等の他の地区でも仏様のお話を聞けるご縁があったそうですが、今は楠元だけ。
他の県では1家族でお仏壇の前で報恩講を勤める有難い地域もあるそうです。








楠元上




楠元中





楠元下


楠元の先輩方が大事にされてきた法要。有難いご縁です。
いつまで続くか分かりませんが、大切にしていただきたいです。


若院



2017年1月26日木曜日

真光寺だより発送の準備


少し早めですが、2月前半はバタバタしておりますので、今日真光寺だよりの発送準備をしました。
たくさんのお手伝いありがたいです。



お茶菓子は弟が母の里の楽常寺のご門徒さんよりいただいたサツマイモの手作りのお菓子。
弟の結納、門徒披露宴法要の写真をみながらワイワイ盛り上がりました。


本堂の香炉の横に置いておきますので、ご自由にご覧ください。


若院


2017年1月25日水曜日

メジロ


この間、境内にメジロがやってきました。
急いでカメラを取りに戻り、パシャパシャ。


つがい揃っての写真はとれず、、残念。








若院

2017年1月21日土曜日

えんとつ町のプペル


お笑い芸人の西野さんの絵本。
『えんとつ町のプペル』

http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html


2000円の自作の絵本を、ある小学生の一言で無料に。




23万部突破で、売上の心配をしなくなり、ある程度の心の余裕ができたから無料にすることができたのだとは思いますが、それでも素晴らしい行いだと思います。




ブログの中の
「ありがとう」という《恩》で回る人生があってもいいのではないか。
と西野さんの考えもすごいですね。



高いお金を出せない小学生にたいして、絵本を無料にした西野さんの思いやりの心。





慈悲という言葉聞いたことあるでしょうか?
あの人は慈悲深い人やなーと使うことありますよね。

苦しんでいる人をほおっておけない『慈』の「抜苦(ばっく)の心」。

相手に喜んでもらいたい、笑顔にしたいという『悲』の「与楽(よらく)の心」。




人間にも慈悲の心があります。

読みたいのに読めないと苦しんでいる小学生。その苦を取り除いてあげたい、そしてよろこんでもらいたいとはたらいた西野さんの心。
それも慈悲の心。


阿弥陀様の心は大慈悲のお心。
しかし、人間の慈悲の心は小慈悲。
大でも中でもなく、小の慈悲の心。
人間の慈悲の心はどこまでいっても小慈悲。







例えば車の運転をするとき。

渋滞の中、列に入ろうとウインカーを出している車。なかなか列に入れずに困っている。
入れてあげようと心が起こりますね?
あれもひとつの慈悲の心。


しかし、人間の慈悲には限界があります。
続けて同じタイミングで2台目、3台目まで許せるか?
また、当然のように前に入ってきて、お礼の意味のハザードがなかったときに、イラっとしないか?
せっかく入れてあげたのに。


また、状況によっても変わりますね。仕事に遅刻寸前のような、時間に余裕がないときに、同じように前に入れてあげれるか?
2台目、3台目。。。なかなか難しいかと。笑


中には、そういうことを思わない心の広い方もいらっしゃるでしょう。

しかし、これは車の運転中のひとつのシチュエーションでの人間の慈悲の例でしかないです。

西野さんの場合でも、無料にすることで絵本に関わった方や同じ職業の作家さんと何やらぶつかったそうです。良かれと思ってしたことが、人によっては良いことではないこともあります。。。
人間の慈悲の心は限定的。
親心も我が子だけにはたらき、他所の子にははたらきません。







阿弥陀様のお慈悲は見返りを求めない。
母親の赤ちゃんに対する親心に似ています。その親心が限定されず、すべての人にはたらいています。その阿弥陀様のお慈悲に気付ける人になっていきたいですね。
自分が仏様に照らされていることに気付かされたら、おかげさまといただいていけるのです。

また、小慈悲でも仏様の真似ごとをさせていただくことも大切だと思います。

西野さんの小学生のためを思っての慈悲の心。有難いですね。




澍法会という真光寺の無料公開法座。
全国で活躍されているご講師の先生をお呼びいたしますので、無料で法座をひらくことは実はなかなか大変なのです。
澍法会は年に5回19時半〜21時までの無料の法座。
門徒さんでも門徒外でもお聴聞されたい方が鹿児島市から出水まで遠いところからもお聴聞に来てくださります。


しかし、私も仏様ではないですから、小慈悲でしかないですね。
見返りを求めてしまいます。
みなさんのご法事の際、「どうかお聴聞してください」と伝えても、なかなかご縁に遇っていただくことが難しい。無料なのに、なんで来てくれないのかなーと。。お恥ずかしいことに、ちょっと思ってしまいます。


「無料だし、ちょっと1時間半、真光寺に座ってあげるか」と小慈悲の心を起こしてくだされば、嬉しいです。

どんな理由であれ、どんな思いであれ、阿弥陀様の大慈悲のお心を聞かせていただくご縁になってくだされば、有難いです。










なかなか絵本の内容もおもしろいです。
ここで読めます↓




若院