2020年3月6日金曜日

大阪から

2月27日、祖父の妹になるおばちゃんが亡くなりました。

祖父の母が亡くなったときにおばちゃんはまだ10歳だったらしく、祖母が母親代わりとして一緒に生活してきたと聞きました。

ですので、おばちゃんは、祖母にとっては我が子同然であり、私の母や叔母たちにとっては本当の姉のような存在でした。



8年前に大腸がんの宣告を受け、長い闘病生活。
抗がん剤治療や手術を繰り返しての生活を頑張っていましたが、おばちゃんの体調が急変したとの連絡を受け、私の母と叔母たちがおばちゃんのいる大阪へと向かい、みんなでお浄土へと見送ったそうです。



おばちゃんのお骨を甑島のお寺に分骨するために、祖父のもう一人の妹になるおばちゃんと私の母が大阪からお骨になったおばちゃんを連れて、真光寺によってくれました。


そして、みんなでお内仏にお参りしました。

その時に、娘が覚えたての重誓偈を無邪気な様子でお勤めしてくれました。
娘のなんまんだぶつを聞くと、おばちゃんの目から涙が溢れました。

やっと、 なんまんだぶつ   って言えた、、と。

話を聞くと、亡くなったおばちゃんは長男を出産後、3人こどもを授かりましたが、3人とも流産し、抱いてあげることができなかったそうです。
そのご縁で、浄土真宗とは別の宗教にお世話になっていたとのことでした。

もう一人のおばちゃんは浄土真宗だったため、おばちゃんの葬儀中、口には出さず、心の中でずっとなんまんだぶつと言っていたと話してくれました。 
おばちゃんが亡くなってから初めて言えたなんまんだぶつだったと涙を流し、真光寺に来れてよかった!とても喜んでくれました。


その後、無事に甑島のお寺に納骨できたそうです。


私の祖母にとって、おばちゃんの死は、我が子の死と同然で、とても辛そうでした。
いつかこの日が来るとわかっていても、実際は現実をなかなか受け止められず、周りもひどく心配していました。

でも、そんな祖母に甑島の正浄寺の坊守さんが、また会える世界があるからね。阿弥陀様におまかせすれば大丈夫!と声を掛けてくださいました。

祖母も、今はつらくはあるけど、また会える、、お陰様。お陰様。と手を合わせていたそうです。

大切な人との別れがこれで最後ではない世界。死んだら終わりではなく、また会える世界がある有難さを実感しました。


おばちゃんも、長い闘病生活を終え、いろんな痛みから解放され、10歳のときに亡くなったお母さんや、抱いてあげることができなかった3人のこどもたちと会えていると思うと、嬉しいだろうな、、と思います。

私自身もまた、いつかは亡くなる命ですが、浄土真宗でよかったと改めて思う日々です。

そして、何もわからなくても、なんまんだぶつ、なんまんだぶつ と手を合わせ、仏様を近くに感じながら育ってくれている娘の姿を嬉しく思います。


おばちゃんの死は悲しい出来事には変わりないけれど、おばちゃんがなんまんだぶつと私たちをお育てくださる仏様なのだと味わいながら、娘と一緒にお念仏させていただこうと思います。