2018年2月16日金曜日

永代経

16、17日と永代経。

羽生結弦選手がフィギュアスケートの演技をしている時間、テレビを観ることより法を聞くことを優先してくださるご門徒さん方。








たくさんのお参り。




この世の出来事の何事も何事も

仏縁の助縁と心得るなり





谷川先生が恩師からいただいた陶器に書いてある言葉。

良いことも悪いこともわたしを育てるため


そのようにいただくことができたら、なんと豊かな人生かと思います。
どちらかというと愚痴が出てくるこの口、、


こんな詩があります。

の世は、上見れば上で 下みれば下で 限りなし 

吾れ 半身不随なれど いまだ右手あり、耳あり、右足あり 吾れ 脳腫瘍なれど いまだ味あり 色彩あり 音あり 声あり 言葉あり 匂いあり 

それもやがて消え行く身なれど 尚念仏あり 御仏あり 大悲あり 浄土あり 吾れ尚仕合わせなりき


武内キヌエ



「幸せになりたい」幸せになりなさい」
ということばを聞くことがあります。
どうなったら幸せ?

良い大学行くこと?良い就職をすること?
健康?名誉?お金?美人イケメンとの結婚?
勝つこと?


たしかに幸せの材料ではあるでしょう。
しかし、人生の締めくくり。
人生の終着点。

上にあげたものをすべて持って命終わることは不可能です。
命終わっていくとき、すべて置いていかなければならない、失っていかなければなりません。
そんな幸せを求めていくだけの人生を、「むなしい」と言うのでしょう。


阿弥陀様の願われたいのち。願われた人生。
本願力に遇ったならば、むなしく人生終わってはいかないよと親鸞聖人はおっしゃっています。


阿弥陀様に出遇う仕合わせ。
本来は「幸せ」でなく、「仕合わせ」。
巡り合わせをよろこばせていただきます。


この度の永代経も尊いご縁でした。








若院