2016年11月8日火曜日

第10回澍法会

昨日は澍法会。

福岡から角道宏先生をお招きしてのご縁。


倶会一処」のお話。
「倶(とも)に一つの処(ところ)で会(あ)う」というご文(もん)で、阿弥陀様のお浄土でまた共に会わせていただくという意味。
真宗門徒の多い広島、山口のお墓によく「倶会一処」と彫られています。

最近「愛」やら「絆」と彫る人がいるそうですが、もともと亡き人に対して「愛」、「絆」はあるからお墓を建てるのです。
新しくお墓を建てる方は「倶会一処」をオススメします。旧字体を使うなら「倶會一處」。

この世界で別れていかねばならないですが、また会えるお浄土を私たちはいただいています。


人は死んだらゴミになる。
人は死んだら終わりよ。
という方がいらっしゃる。その人はその人のよりどころでそう感じ人生を生き抜くことでしょう。


しかし、私はそうはいかない。

母は消えてなくなったのか?



お浄土がないと困ります。
また母に会えるお浄土がないと困ります。


以前、ある先生がおっしゃっていました。

死んだら終わりと思っていた方が、病室で子どもにかける言葉がわからんかったと言ってました。
しかし、子どもさんが亡くなったあと、お聴聞を続けていく中、「もう少し早く仏様に出遇っていたら、あの子にかける言葉も違ったろうな。でも、あの子のおかげで今私が仏様に出遇わせていただいた」とおっしゃっていました。

死んだら終わりじゃ解決できないのです。


「倶会一処」をいただける阿弥陀様の願いとはたらきの南無阿弥陀仏。

私が亡き方をご縁として南無阿弥陀仏をいただいて、死んで終わりじゃない「倶会一処」の人生をいただく。そのことを聞かせていただく場が法座です。
法事をご縁に法座に参る日暮らしをどうか送っていただきたく思います。


                                                                                                                        若院