2020年9月13日日曜日

今月はお彼岸があります



コロナにより、お寺の法要や法座も自粛が続きました。
今年度の初の法要です。




コロナにより当たり前のことが当たり前でなくなっています。
それと同時に今まで当たり前にできたことが有難かったのだと気付きをいただく日々です。

次はいつお聴聞させていただけるか分かりません。


どうぞご縁に遇ってください。

2020年9月4日金曜日

9月のことば

水は
  掴めません
水は
  汲むものです

人の心は
    掴めません
人の心は
    汲むものです
     
        〈東井義雄〉





2020年8月15日土曜日

ぽんぽん百日草


4月にご門徒さんと娘が一緒に種をまいたぽんぽん百日草。



ちっちゃなお花が咲きました。







でも、実はこのお花は娘が育てたお花ではありません。

ポットに植えた種はすぐに芽を出し、すくすくと伸びていましたが、ある朝見ると、綺麗に何もなくなっていました。鳥にやられたのか、誰かに引っこ抜かれてしまったのか、理由はわかりません。


すぐに新しい種を買ってきて2回目をまきました。
1回目よりも大事に大事に育てていましたが、次に育った芽は葉っぱを全て虫に食べられ、茎だけに、、。光合成ができなくなり枯れてしまいました。

それからしばらく経ったある日。境内に一輪だけ静かに育っていた百日草をご門徒さんが見つけてくださいました。

ポットの中で大事にされた百日草たちは枯れてしまい、偶然、外に落ちてしまっていた種が自然の中でたくましく育って花を咲かせていました。


過保護にしすぎるよりは、その子の育つ力を側でそっと見守ってあげることも大事なことかもしれないと百日草に教えられた気がしました。


心配して何でも親が環境を整えてあげると抵抗力が弱くなったり、好奇心が育ちにくかったり、何事も親にしてもらわないとできない子に育ってしまう。

ですが、頭ではわかっているつもりでも、娘たちが泣いているとすぐに抱っこをしてあやしてしまいます。それに、できることならこれから先も辛い思いをしてほしくないと思ってしまいます。

親がこう思っていても、娘たちにとっては涙したくなるような出来事も、怒りたくなるような出来事もたくさんでてくることでしょう。

辛い思いはなるべくしてほしくないけれど、それもまた一つのご縁として阿弥陀様を心のよりどころとしながら、このぽんぽん百日草のようにたくましく育ってほしいと願うことでした。


                                                           合掌

2020年8月3日月曜日

8月のことば

人は去っても

その人のほほえみは

去らない

人は去っても

その人のことばは

去らない

人は去っても

その人のぬくもりは

去らない

人は去っても

拝む掌(て)の中に

帰ってくる



            中西智海 先生



お互いにお盆のご縁で味合わせていただきましょう。

2020年7月27日月曜日

井戸



駐車場にあった鉄板で塞いでた井戸。

その井戸がついに復活しました。



そして、よく仏花に使うハランを植えてもらいます。




2020年7月18日土曜日

少し遅れていますが

法要の時の食事部屋、お茶室、お手伝いの方々の休憩室、小応接室として使う建物がもう少しで完成。

建築法の関係で最初の計画とだいぶ変わり、車庫をリフォームすることに。
スペースとしてはかなり狭く、広間が作れなかったのは残念ですが、限られたスペースの中に必要な空間だけを作らせていただきました。










2020年7月2日木曜日

7月のことば

私のこれまでの人生というものは、

さまざまなことを教えてくれた多くの人々の

「一言」によって支えられ、

成り立っていると言っても過言ではありません。

 

- 松下幸之助 -




人は言葉で生きている。

そんな私たちのために阿弥陀様も言葉の仏さまになられました。


親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」のたった一言と出遇い、その言葉に支えられ、方向性を定められた方。

私がブレても、ブレることのない依りどころをいただかれていた。


親鸞聖人が出遇われた「南無阿弥陀仏」の一言の中身を聞かせていただく場がお寺の法座や法要。そして、有縁の方々の御法事。


「南無阿弥陀仏」の一言に出遇い、支えられ、方向性を定められていくことが浄土真宗の仏道です。