先日行った知覧特攻基地を思い出します。
それは特攻前に育ての母に送った手紙。
「母上様 お元気ですか
永い間、本当に有難うございました
我六歳の頃より育てて下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有難い母 尊い母
俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許しください
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと 」
(相花信夫 少尉 18歳)
母という字が11回も出てきます。
母親に対しての想いがひしひしと伝わってきます。
お母さんと呼ばしめたものは、相花信夫さんに六歳の頃が注がれた母心がそうさせたのでしょう。
カーネーションのお花をいただきました。
母にお供えさせていただきました。
母の日があるおかげで母を思い出す時間をいただけます。
その思い出すことすらも、私の手柄ではなく、母心が私に働き続けているが故に。
母の日は母に感謝をする日でもあると同時に、私に間違いなく、かけられた母心を感じる日でもありますね。
それは仏様となった亡き母も同じ。お浄土からのはたらきが今も私に届き、導いてくださっています。
そこに有難うと手を合わせ、南無阿弥陀仏とお礼を申していくご縁を私もいただきました。