朝、急な出来事でした。洗面所で倒れているおじを発見したときには、もう心臓が止まっていたそうです。
22日の本通夜、23日の密葬のご縁に遇い、お参りに行きました。
喪主のいとこのあいさつの中で
今まで白骨の御文(お東のお寺では御文章を「おふみ」と言います)を読んで、泣いたことはなかったんですけど、
午前中にあったご門徒さんの法事で、白骨のおふみを読んで泣いてしまいました。
昨日の仮通夜のときに、保育園の保護者の方に「おふみさまにありますね、、」と一言。
保護者の方からの言葉でびっくりしましたが、何を言おうとしているかこの一言でわかりました。
朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身なり。
私に伝えてくださりました。
それを思い出し、ご門徒さんのご法事で詰まって涙してしまいました。
と、話をしてくれました。
縁に触れたら、どういったご縁でこのいのち尽きるかわからないです。
本当に突然やってきました。昨日まで元気にしていたおじ。いや、亡くなる朝、洗面所に行くまで元気にしていたおじ。
どれだけ白骨の御文章に馴染みがあっても、どれだけ白骨の御文章を知っていても、
分かっていないお互いですね。。
諸行無常。
だからこそ、別れは突然で、そして涙が出ます。
白骨の御文章の最後には
老少不定のさかいなれば、誰の人も早く後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。
いのちあるうちに早く自分のいのちのよりどころをいただくべきです。手遅れになる前に。
阿弥陀様との出遇い、お念仏よろこぶ身にならしていただくこと。
そのことが何よりも大切なことだと、おじのご縁を通して味あわせていただいたことです。
お念仏よろこんだおじのことですから、今度はお浄土から私にはたらく仏様になられたことでしょう。そのことをまた嬉しく思い、たのもしく思うことです。