2017年12月11日月曜日

報恩講1日目





今日から報恩講法要。
真宗大事の法要と言って、一年間で一番大切な法要。
各家のご法事よりも本来は大切にしなければいけない、、、と少しは味わってもいいのでは?と思うほど、本当に大切な大切な法要。


お供え物もたくさんの方と数日かけて作ります。
お花もいつもより豪華に生けます。
できる範囲で精一杯させていただく。







昼はたくさんのお参り。
夜は寒いこともあり、少なかったですが、保育園、幼稚園の先生がお聴聞。






























普段は入ることのできないお内陣ですが、ご門徒さん方がいっしょに作ってくださったお供え物を見ていただくため、特別に余間まで。

おーー


きれいねー


すごいねー



と関心のお声。

興味津々のせいか余間より中に入られて間近で見る方も。笑
それはそれで有難い。


男性の方々は司会や喚鐘。
また、駐車場整備、受付などたくさんたくさん関わってくださっています。




今年は去年に比べ二倍くらいお手伝いが増えました。
来年またお手伝いが増えると嬉しいです。


報恩講はご門徒皆でお勤めする法要。
たくさんの方に関わっていただきたく、そして、たくさんのご門徒さんにお聴聞していただきたいです。

関われば関わる分だけ達成感みたいなものがあります。

報恩講。恩に報いる。。返すことできないほどのご恩をいただいています。そのお礼。
関われば関わる分だけ、よかったな。なんか去年よりお参りした気分になるな。少しは御法謝できたかな。と思うようになり、いつの間にか自分のよろこびになっていきませんか?

なってないと言う方はまたお聴聞し続けてください。いつか、味わえるようにお育ていただくはずです。



今日のお昼の松月博宣先生の御法話でありました海徳寺(http://www.kaitokuji.com/?from_sp)の総代の〇〇さんの言葉のように

聞いといてよかったな。

と自分が死の縁に触れた時、味わうことができるかと思います。
あの時、聞いた仏様のお話はこのことだったのかと味わえるようになるかと思います。
死んで終わりではなく、仏様となって生まれるいのちだと味わえたとき、死の苦しみ悲しみはかわることはないけども、その苦しみ悲しみの中からでも慶べます。


明日、明後日とまだ2日間続きます。暇を作ってお聴聞ください。いのちの問題は他人事ではなく、我が事です。