2017年1月21日土曜日

えんとつ町のプペル


お笑い芸人の西野さんの絵本。
『えんとつ町のプペル』

http://lineblog.me/nishino/archives/9256089.html


2000円の自作の絵本を、ある小学生の一言で無料に。




23万部突破で、売上の心配をしなくなり、ある程度の心の余裕ができたから無料にすることができたのだとは思いますが、それでも素晴らしい行いだと思います。




ブログの中の
「ありがとう」という《恩》で回る人生があってもいいのではないか。
と西野さんの考えもすごいですね。



高いお金を出せない小学生にたいして、絵本を無料にした西野さんの思いやりの心。





慈悲という言葉聞いたことあるでしょうか?
あの人は慈悲深い人やなーと使うことありますよね。

苦しんでいる人をほおっておけない『慈』の「抜苦(ばっく)の心」。

相手に喜んでもらいたい、笑顔にしたいという『悲』の「与楽(よらく)の心」。




人間にも慈悲の心があります。

読みたいのに読めないと苦しんでいる小学生。その苦を取り除いてあげたい、そしてよろこんでもらいたいとはたらいた西野さんの心。
それも慈悲の心。


阿弥陀様の心は大慈悲のお心。
しかし、人間の慈悲の心は小慈悲。
大でも中でもなく、小の慈悲の心。
人間の慈悲の心はどこまでいっても小慈悲。







例えば車の運転をするとき。

渋滞の中、列に入ろうとウインカーを出している車。なかなか列に入れずに困っている。
入れてあげようと心が起こりますね?
あれもひとつの慈悲の心。


しかし、人間の慈悲には限界があります。
続けて同じタイミングで2台目、3台目まで許せるか?
また、当然のように前に入ってきて、お礼の意味のハザードがなかったときに、イラっとしないか?
せっかく入れてあげたのに。


また、状況によっても変わりますね。仕事に遅刻寸前のような、時間に余裕がないときに、同じように前に入れてあげれるか?
2台目、3台目。。。なかなか難しいかと。笑


中には、そういうことを思わない心の広い方もいらっしゃるでしょう。

しかし、これは車の運転中のひとつのシチュエーションでの人間の慈悲の例でしかないです。

西野さんの場合でも、無料にすることで絵本に関わった方や同じ職業の作家さんと何やらぶつかったそうです。良かれと思ってしたことが、人によっては良いことではないこともあります。。。
人間の慈悲の心は限定的。
親心も我が子だけにはたらき、他所の子にははたらきません。







阿弥陀様のお慈悲は見返りを求めない。
母親の赤ちゃんに対する親心に似ています。その親心が限定されず、すべての人にはたらいています。その阿弥陀様のお慈悲に気付ける人になっていきたいですね。
自分が仏様に照らされていることに気付かされたら、おかげさまといただいていけるのです。

また、小慈悲でも仏様の真似ごとをさせていただくことも大切だと思います。

西野さんの小学生のためを思っての慈悲の心。有難いですね。




澍法会という真光寺の無料公開法座。
全国で活躍されているご講師の先生をお呼びいたしますので、無料で法座をひらくことは実はなかなか大変なのです。
澍法会は年に5回19時半〜21時までの無料の法座。
門徒さんでも門徒外でもお聴聞されたい方が鹿児島市から出水まで遠いところからもお聴聞に来てくださります。


しかし、私も仏様ではないですから、小慈悲でしかないですね。
見返りを求めてしまいます。
みなさんのご法事の際、「どうかお聴聞してください」と伝えても、なかなかご縁に遇っていただくことが難しい。無料なのに、なんで来てくれないのかなーと。。お恥ずかしいことに、ちょっと思ってしまいます。


「無料だし、ちょっと1時間半、真光寺に座ってあげるか」と小慈悲の心を起こしてくだされば、嬉しいです。

どんな理由であれ、どんな思いであれ、阿弥陀様の大慈悲のお心を聞かせていただくご縁になってくだされば、有難いです。










なかなか絵本の内容もおもしろいです。
ここで読めます↓




若院