保育園コラムはもう少しやわらかい文章にしますが、こちらにはこれで。
幼稚園のお遊戯で、先生が
「ゆりちゃんは、声が大きくてお芝居が上手ね」
って言ってくれた。
たった、それだけですよ。
たったそれだけで、「お芝居する人になる」って決めた。
そこからブレなかったんですね。
天海祐希
真光寺ホームページの九月のことばです。
一つのことばで人の人生が決まることがあります。
それは自分にとってあたたかいプラスのことばもあれば、自分にとって冷たく傷つけられたマイナスなことばもあります。
女優の天海さんは小さい時に褒めてくれた先生の一言が生きる道に方向を決めてくれたと話します。
実はテレビなどメディアで使われている「宗教」ということばは本来の意味とは少し違います。
自分を除いて「宗教」とは成立しないのです。私が「宗(中心)」としている「教え」は生きていく上でみんなが持っているものだからです。
その意味によるのであれば「無宗教」という言葉に矛盾が生じ、おかしなことばだということが分かります。「無宗教」とは「自分教(自分を宗とした教え)」という表現をされる方もあり、こちらの言葉の方が正しい意味を表していそうです。
金子大栄という方のことばで
「宗教とは終生用いて尽きぬただ一言との出遇いなり」
とあるように、
ただ一言の「ことば(教)」が自分の「人生の軸(宗)」となるほどの出遇いを宗教というのです。
人生を左右するような、自分の人生の軸となるようなことばとの出遇いが大切であり、出遇えた人は仕合わせだと思います。
親鸞聖人という方はそのことばを「南無阿弥陀仏」といただかれ、そのことばの内容を聞かせていただくのが浄土真宗という教えです。
阿弥陀様(ののさま)のことばをいただくかどうかは子どもたちの自由ですが、「いつでもどこでも見守っているよ」というののさまのあたたかいおことばをただただ聞かせていただくご縁を保育園でも大切にさせていただいています。